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錦帯橋-中巻-吉川広嘉公銅像


第十章
吉川広嘉公銅像
錦帯橋

吉川広嘉公銅像-きっかわひろよし

三代岩国藩主

 三代岩国藩主吉川広嘉(ひろよし)は、二代藩主吉川広正(ひろまさ)の長男として、元和7年(1621年)に萩で生まれた。元服した頃は、病の父に代わり政務に当たることもあったが、慶安2年(1649年)、自らも病にかかり、長い闘病生活を送る。万治3年(1660年)、隠居の準備を始めた広正は、寛文3年(1663年)に家督相続が認可されたが、広嘉の症状が回復しないため延引し、2年後、広正の老衰に伴い家督を相続した。
 長い闘病生活を送る中で、広嘉は医師としても名高い明(みん)からの帰化僧、独立(どくりゅう)と出会った。広嘉は、独立が所持していた「西湖遊覧誌」(せいこゆうらんし)を見て、洪水でも流れない橋の工法を思い付き、延宝元年(1673年)錦帯橋(きんたいきょう)が創建された。また、吉川家墓所の建設場所についても独立(どくりゅう)の助言を受けている。
 内政面で広嘉は、二鹿(ふたしか)銅山の採掘や村記の作成、江戸藩邸・大坂蔵屋敷の新設などを行う一方、文化面では、藩費を使い、武芸や学問、技術に秀でた士を、各分野の専門家として養成していった。また、毛利宗家(本家・家系)との関係も良好で、幕府より官位を授かる許可を宗家から得ていたが、延宝7年8月16日(1679年)、萩において59歳で死去した。
※大正13年(1924年)、正四位を追贈
岩国城を背に錦帯橋を見守る広嘉銅像


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