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錦帯橋-下巻-香川家長屋門


第十八章
香川家長屋門
錦帯橋

香川家長屋門-かがわけながやもん

県指定文化財

 香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から二百七十年余前香川正恒が建造したもので建築面積一二三、一四平方メートル江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料であります。
 香川家は始め芸州(広島県)八木城主で吉川広家が岩国に移封され当時客分から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳大平記は正恒の父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したものであります。その他香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出しています。この長屋門は昭和三十年一月二十五日山口県指定文化財顕彰規定により指定されていましたがその後昭和四十年山口県文化財保護条例が制定され同四十一年六月十日山口県有形文化財の指定を受けました。
 なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和三十年十月二十五日、岩国市に寄贈されております。

香川正矩-かがわまさのり

家老

 安芸武田家の家臣であった香川家は、天正年間(16世紀後半)から毛利家に従った。文武ともに優れていた香川春継(はるつぐ)は、後に吉川元春に客将として迎えられ、吉川広家が岩国に領土を移した際には、八百五十石の家老として歴代岩国藩主に仕えた。
 香川正矩(まさのり)は、慶長18年(1613年)に春継(はるつぐ)の次男家継(いえつぐ)の子として生まれたが、伯父で、香川家当主であった家景(いえかげ)の養子となり、家督を相続した。正矩(まさのり)は、剣術では疋田陰流(ひきたかげりゅう)の免状を受けるほどの腕前でありながら、歌や歴史などの学問にも優れていた。儒学者宇都宮遯菴(うつのみやとんあん)の記した「陰徳記序(いんとくきじょ)」などによると、香川家は代々軍功をあげてきたが、正矩(まさのり)の代には戦乱も終息を迎えていたため、正矩は文の道に人生を見いだし、吉川家の軍略と香川家の忠節を後世に伝える「陰徳記(いんとくき)」を執筆したとされる。
 万治3年(1660年)10月22日、正矩(まさのり)は「陰徳記(いんとくき)」の公刊前に48歳で死去した。その後、父の遺志を継いだ正矩の次男景継(かげつぐ)が補筆し、吉川家の軍略の正当性を伝える内容も加えられ、「陰徳太平記(いんとくたいへいき)」として公刊された。これらは、戦国時代から安土桃山時代にかけての西日本情勢を知る資料として評価されている。


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