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NAKANO Granite

錦帯橋-下巻-槍倒しの松


第二十三章
槍倒しの松
錦帯橋

槍倒しの松-やりこかし

 この松は、岩国武士の負けず嫌いをまけず表徴する有名な槍倒し松です。昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのですが、大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝の張った松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたものです。今では昭和十年(一九三五年)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが、元は河辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。昭和十九年(一九四四年)頃、この地方に発生した松食い虫によって、この松も昭和二十七年(一九五二年)八月残念ながら枯れてしまいました。この松は、初代の松の実から自生した直系の松を昭和四十三年(一九六八年)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。
  • 樹令 300年
  • 樹の高さ 14.5m
  • 幹の周囲  3.7m 
  • 樹冠の面積 323平方m
  • 昭和二十九年一月


 実質、岩国領は12代「経幹」まで藩として認められていませんでした。その背景には「関が原の戦い」での「広家」のとった徳川密約行動にありました。西軍総大将に祭られた輝元率いる毛利一門は戦わずして敗北した形になりました。その結果、所領10カ国を僅か2カ国に減らされ、その領地は「広家」に与えられますが「広家」はこれを断り毛利宗家へ託します。しかし藩とは認めないこの処遇は幕末近くまで続きました。








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