藤沢秀行-中島幹夫

藤沢秀行

 名誉棋聖「藤沢秀行」「狭苦しい墓には入らない。美しい周防灘の海から世界へ旅立ちたい」秀行の遺志により、2009年10月13日、山口県周南市大津島沖で散骨が行われました。

中島幹夫

藤沢秀行

「武将蟹」下呂交流会館アクティブ

子供のころ山がありました。川がありました。

そこは円空にも出会える里でした。

上京した東京の下町。工場は職人たちの世界。

ガラスとの出会いがありました。

芸大で石と取り組む。心にガラスがありました。

対比する形。ガラスと、石。自然そして環境。

仕事場にいま海を臨みます。瀬戸内海の過疎の島。三太郎の祠

WORK

藤沢秀行

 中島幹夫の仕事を要約すると「石とガラスと環境デザイン」となる。それが全てと言ってもいい。ほぼ半世紀の時間をガラスと石と環境デザインの仕事に当ててきた。非常に明快な彫刻家としての歩みである。

 1962年に新制作協会展初出品で初受賞した年を作家としてのデビューと見る場合、先ず彫刻家としての初期には、"石"を主流とした時代がしばらく続く。

少なくとも68年に新制作協会の会員に推挙されるまではそうであった。ここで興味深いのは、略年譜のもある通り、会員となった頃から、早くも公共の場における公園設計やランドスケープデザインの仕事を手がけていることだ。戦後の日本におけるこの種の発想の仕事としては草分け的な実績と言っていいのではないだろうか。それから70年に入って"ガラス"のオブジェが登場する。いわゆるガラス彫刻ではなく、ガラスを素材とした彫刻である。そして、やがてそれから数年も経たない内に"ガラスと石"の組み合わせ彫刻が現れる。彼の仕事の今に続くスタイルの確立である。それから今日まで30余年が経過している。

美術評論家・武田厚「石とガラスと環境デザイン」美術の窓より抜粋

作品紹介

藤沢秀行

Work introduction

•87'樹・雨・87 下呂交流会館アクティブ

•82'三つの形(雲・樹・水)ヘルパークシティ・アネックス(大阪)

•88'水の肖像 下呂交流会館アクティブ

•82'~87'ウォーターアイ パークシティ新川崎(神奈川)

•92'鳥の影 下呂交流会館アクティブ

•92'星合 ヘルパークシティ・アネックス(大阪)

中島幹夫 Mikio Nakajima

藤沢秀行

 1933年岐阜県下呂市生まれ。旧益田高校卒業、59年東京芸術大学彫刻科卒、60年卒業制作買上、附属図書館贈、61年同大専攻科修了。62年新制作展初出品新作家賞受賞(64年同賞)、68年会員推挙。66~71年東京芸大非常勤講師。79~86年千葉大学工学部非常勤講師、85~89年東京芸大彫刻科講師、91~2002年日本大学生産工学部非常勤講師。91年能登島グラスアートナウ・コンペ審査員特別賞、千葉ガーデンタウン(BCS賞)、東京サンシティ(建設大臣賞)、パークシティ新川崎、大阪ベルパークシティ(大阪まちなみ賞)等多くのランドスケープデザインを手がける。ギャラリーせいほう他個展。現在新制作協会会員。