錦帯橋-上巻-毛利元就三子教訓状 一

錦帯橋-上巻-

吉川家と意外な関係から吉川家系図や吉川家墓所の写真など。

 

山口県の史跡 毛利元就が息子三人に宛てた有名な教訓状

毛利家家紋

所蔵 山口県 毛利博物館 毛利家文書四〇五 毛利元就自筆書状

縦28.9cm 横 285.4cm

口語訳

 尚々忘候事候者、重而可申候、又此状字なと落候て、てにはちかひ候事もあるへく候、御推量にめさるへく候ー、

 なおなお、忘れたことがあったならば、重ねて申すであろう。またこの書状の中にも脱字もしくは 「てにをは」 の誤りもあるであろうから、御推量願いたい。

 三人心持之事、今度弥可然被申談候、誠千秋万歳、大慶此事候ー、

 隆元・元春・隆景の三人の心掛けることを話されていることは、毛利家のため喜ばしいことである。

一 幾度申候而、毛利と申名字之儀、涯分末代まてもすたり候はぬやうに、御心かけ、御心遣肝心まてにて候ー、

一、幾度申すも同じことながら、「毛利」という家名をば、精一杯全力をあげて末代までも継続するように努力することが大切である。

一 元春隆景之事、他名之家を被続事候、雖然、是者誠のとうさの物ニてこそ候へ、毛利之二字、あたおろかにも思食、御忘却候てハ、一円無曲事候、中ー申もおろかにて候ー

一、元春・隆景の二人は吉川・小早川という他の家を相続せられているけれども、これはただ一時的のことであるので、毛利の二字を粗略に思い、忘却せられるようなことがあってはいけないことである。

一 雖申事旧候、弥以申候、三人之半、少ニてもかけこへたても候ハゝたゝー三人御滅亡と可被思召候ー、余之者ニハ取分可替候、我等子孫と申候ハん事ハ、別而諸人之にくまれを可蒙候間、あとさきニてこそ候へ、一人も人ハもらし候ましく候ー、縱又かゝハり候ても、名をうしない候て、一人二人かゝハり候てハ、何之用ニすへく候哉、不能申候、

一、事新しく申すまでもなく、三人の間柄が少しでも疎隔することがあれば三家は必ず共に滅亡するものと思われたい。他人とは異なり、元就の子孫たるものは殊更に請人から憎まれていようから、時に前後の区別こそあれ、一人も見逃がぬように滅ぼされることであろう。またかりに三人の内で身を維持することができたとしても、家名を失いながら、一人か二人が存続していられても、何の役に立つとも思われぬ。その結果の憂うべきことは申し表わせぬ程である。

一 隆元之事者隆景元春をちからにして、内外様共ニ可被申付候、於然者、何之子細あるへく候や、又隆景元春事者、当家たに堅固に候ハゝ、以其力、家中ー者如存分可被申付候ー、唯今いかにー我ーか家中ー如存分申付候と被存候共、当家よハく成行候者、人の心持可相替候条、此両人におゐても此御心もち肝要候ー、

一、毛利氏を相続している隆元は、隆景・元春をカと頼んで内外一切のことを申付けて執り行われたい。そうすれば何の支障も起こらぬであろう。また、隆景・元春は生家である毛利家さえ堅固であるならば、その威力によって各々の家中の者を思うままに動かされることができるであろう。今でこそ元春・隆景は各々の家中を意のままに動かし得られると思っているであろうが、もし毛利家が弱くなったならば、人の心持ちは自ら変わるであろうから、両人においてもこの心持ちが肝要である。

一 此間も如申候、元春隆景ちかひの事候共、隆元ひとへニー以親気毎度かんにんあるへく候ー、又隆元ちかひの事候共、両人之御事者、御したかい候ハて不可叶順儀候ー、両人之事ハ、爰元ニ御入候者、まことに福原桂なとうへしたニて、何と成とも、隆元下知ニ御したかひ候ハて叶間しく候間、唯今如此候とても、たゝー内心ニハ、此御ひツそくたるへく候ー、

一、この間も申したとおり、元春・隆景の二人が隆元の意志に違うことがあっても、隆元は総領であるから偏に親心をもって毎々我慢して堪忍せられたい。また隆元が両人の意志に違うことがあっても、両人は弟の身であるから何処までもこれに服従しなければ済まない次第である。もし両人が他家を嗣がないでそのまま吉田に居られたならば、家臣の列に入り福原・桂などと上下になって、何としても隆元の下知に従わなければならぬ筈である。従って、たとえ唯今両人が他家を相続していられるとしても、内心にはこの御遠慮がありたいものである。

一 孫代まても、此しめしこそあらまほしく候、さ候者、三家数代を可被保候之条、かやうにこそあり度候へとも、末世之事候間、其段まてハ及なく候、さりとてハ、三人一代つゝの事ハ、はたと此御心持候ハてハ、名利之二ヲ可被失候ー、

一、元春・隆景二人は勿論、孫の代まで、よくこの教訓をしっかり、心に留めてもらいたいものである。そうすれば、毛利・吉川・小早川の三家は今後数代を保つことができるであろう。このようにして貰いたいと念願はするが、末世のことであるから、それまでは及びがたいことである。末世までは及ばぬとしても、せめて三人の一代だけは確かにこの御心持がなくては、家名も利益も共に失われるであろう。

一 妙玖ゑのミなーの御とふらいも、御届も、是ニしくましく候ー、

一、亡き母の妙玖夫人に対する各々方の追善も孝道も、これに過ぎたるものはないであろう。

一 五竜之事、是又五もし所之儀、我々ふひんニ存候条、三人共にひとへニー此御心持にて、一代之間者、三人同前之御存分ならてハ、於元就無曲恨ミ可申候ー、

一、甲立五龍城主の宍戸隆家に嫁した一女のことを自分はことに不憫に思っているので、三人ともなにとぞこの心持ちを持ち続けられて、その一代の間は各々方と同様に仕向けられなくては、元就においては本意なく恨み申すであろう。