軍人墓

日清戦争

1894年(明治27年)~ 1895年(明治28年)

伊藤博文内閣(第2次)

 露・英の南下により日本領土の侵略を防ぐ為、当初、清国の支配下にあった朝鮮半島を独立させる大儀で清国と戦争を行い勝利。この勝利により清国支配から朝鮮や台湾を解放、巨額賠償金、諸外国からの日本の影響力(抑止力)などの戦利品等を獲た戦争。

日露戦争

1904年(明治37年)~ 1905年(明治38年)

桂太郎内閣(第1次)

 露による満州占領により再び露の南下による朝鮮半島支配を懸念した日本は英と同盟(日英同盟)し露と戦争を起こす。日本は苦戦ながらも戦果は挙げますが限界状態でした。米の仲介により戦争に終止符が打たれ両国は満州を撤退し日露講和条約(ポーツマス条約)が締結されました。

第一次世界大戦

1914年(大正03年)~ 1918年(大正07年)

大隈重信内閣(第2次)

 日本は日英同盟を結び独の租借地(中国山東省)を占領、更にシベリア出兵を行い中国山東省・パラオ・マーシャル諸島の統治権を得る。

 日本は英露と同盟関係にあったが日本の中国統治を阻止する為、日英同盟を解消させる。更に露がソビエト連邦(共産)となった為、無同盟国となる。

 1931年(昭和06年)日本国内の不況に喘ぐ関東軍は日本政府の制止を無視し満州を占領(満州事変)、翌年、溥儀を担いで満州国を建国、国連からも離脱し完全に世界から孤立し1937年(昭和12年)日中戦争が勃発する。

第二次世界大戦(太平洋戦争)

1939年(昭和14年)~ 1945年(昭和20年)

 日独伊軍事同盟の下、東南アジアを侵略。直ちに米国は制裁を発動。1941年(昭和16年)日本軍は真珠湾(パールハーバー)を奇襲攻撃(山本五十六)。

 1942年(昭和17年)米ハワイ侵略を試みるも米軍の待ち伏せ攻撃に大敗(ミッドウェー海戦)。その後、ガダルカナル島・ニューギニア・マリアナ沖海戦・サイパン・インパール(ビルマ(ミャンマー))・レイテ沖海戦(フィリピン)・ルソン島(フィリピン)、そして本土沖縄侵略と次々に大敗、この間日本は民間人を含め100万人を超える犠牲を払いました。それでも降伏しない日本に対し米国は1945年(昭和20年)8月原爆を投下、44万人もの市民が犠牲となりました。

 最早、戦力を失った日本に対しソ連軍が宣戦布告、満州に残された日本人を捕虜とし残酷な強制労働を強いられました(シベリア抑留)。

 そして8月15日ポツダム宣言を受け入れ完全降伏し終戦となりました。

軍人墓

 このように国の為に命を落とされた方のお墓は神道(日本国教)として祀られるのが通例です。靖国神社に多くの軍人が祀られるいるのも日本の国教が神道だからです。

 この他、明治維新での戦死者も神道式で祀られることが多く、一般のお墓とは上部の形状が異なります。

軍人墓軍人墓

 

関連キーワード

2016年10月02日|サポート情報:ご遺族の方へ, 仏教, 豆知識