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NAKANO Granite

錦帯橋-上巻-吉川家年表


第六章
吉川家
錦帯橋

吉川家年表

平安時代
1183駿河の吉川(現在の清水市吉川)を拠点とし吉川家起こる。始祖経義は源頼朝の側近に隋侍した鎌倉武士である。
鎌倉時代
11935富士の巻狩。
1193528経義は富士野の旅館に宿衛中、曽我兄弟の叛乱(反乱)に遭遇。経義等九人が負傷した。
1200120梶原景時の一党が鎌倉より逃げるをA友兼等は駿河の狐ヶ崎に要撃して討滅した。このとき、友兼は景茂を手討にしたが、自身も傷つき、翌日、死亡。
1201B朝経は父の功によって播磨国福井庄の地頭職に補任。
1221C経光は承久の乱・宇治橋の戦に功あり。よって、安芸国大朝本庄の地頭職に補任された。
1313D経高はその本拠を、駿河の吉川より、安芸の大朝本庄に移し、駿河丸城を築いた。
南北朝時代
1380G経見は石見吉川から本家に入り、その本拠を、大朝本庄から、新庄に移し、小倉山城を築いた。
戦国時代
1467J経基は歴戦の武将。特に、応仁の乱には、細川方に属し、戦功偉大。その勇武に、鬼吉川の称を得た。また文事も嗜み、和歌・連歌の手写本を多く遺している。
1508K国経が大内義興に随従して上京。
1517L元経は毛利と協力して、武田元繁を、安芸の有田城外で討ち破った。このころ吉川と毛利は姻戚関係になる。
1547M興経は勇武の人だが、毛利元就に憎まれ、若くして隠居を余儀なくし、元就の二男N元春を養子にした。
15509興経は安芸布川の隠棲地で、元就に殺害された。
1555101厳島合戦。ついで、鞍掛山城の攻略戦。
155711毛利元就が隆元・元春・隆景ら三子に宛て、長文の教訓状を書き与えた。
1564N元春が出雲の洗骸陣中(あらわい※現在の松江市付近)にて、太平記を書写した。
1566出雲の富田城が陥落。尼子義久・倫久・秀久が降伏。
安土桃山時代
15787播磨の上月城陥落。尼子勝久・山中幸盛降伏。
158110因幡の鳥取城開城。吉川経家切腹。
15826備中の高松城講和。清水宗治切腹。
1585O元長は秀吉の命令で、小早川隆景と共に、四国へ出征。
1586秀吉の命令で、元春、元長等も九州へ出陣。
15861115元春が小倉の陣中て病歿。
15876元長が日向の都於里(とのこおり※現在の西都市付近)の陣中て病歿。
15887P広家は九州鎮定の功により、秀吉に招かれて上洛。聚楽第で歓迎を受けた。また、秀吉の奏請により従四位下に叙せられ、侍従に任ぜられた。
1591広家は、毛利領百十二万石の内から、伯老半国・出雲半国・隠岐一国・安芸山県郡内一万石、計十二万石を受領した。そして、安芸新庄より、出雲富田に移城した。
15924広家は、秀吉の命令により、渡鮮。
15931広家は高陽の碧蹄館において、小早川隆景の軍を援助し、明軍を破って、戦功を立てた。
15977広家は、秀吉の命令により、再度渡鮮。
15981広家は、蔚山(うるさん)城の加藤清正を救援し、明軍を撃退した。後日、清正から、蔚山の救援を感謝して、広家に婆々羅馬印(ばばらうまじるし)が贈られた。
16009関ケ原合戦。広家は、この戦いの前後、毛利の存続のために種々画策するところがあったが、結局利あらず、毛利は八ケ国を失い、防長両国を再給され、岩国初代広家は、岩国三万石を受領することになった。
1601岩国の築城選地と、城下町の都市計画を立案し、まず横山に上の土居を普請した。
1602岩国城下の侍屋敷より普請に着手。横山土居が完成。
江戸時代
1603横山の山上に、城郭を起工。
1608岩国城竣工。城番を定めた。
16155第二代広正が大阪へ出馬。
161510岩国城破却を命ぜられた。
1624室の木・会津沖に、大開作(三十町歩)を干拓。
1626岩国領検地、高六万一石五斗(五ツ)と記帳。
1640岩国半紙の藩専売を始めた。販売は大坂蔵屋敷で。
1660中津に、広正の隠居屋敷できる。
16644僧独立(どくりゅう)を、長崎より岩国に招聘。
167310第三代広嘉の考案という錦帯橋創建。
1678広嘉に叙爵の意志あり。維薦を毛利網広に請う。
1690室の木・今津沖に五本松開作(六十町歩)できる。
16967第四代広紀が萩にて急病死。
169810第五代広逵(みち)の保育所として、仙鳥屋形できる。
1700蓮得院、広逵と前後して、江戸へ参勤。
171712由宇・玖珂・日積・柳井より百姓一揆おこる。
17289横山白山宮下に、鋒垂明神(ほこたる※吉香神社)建立。
17386吉川外記職の不正が露顕し、関係旧役人を処罰。
17386横山千石原にて、白蛇を初めて発見。
17936第七代経倫の隠居所として、昌明御殿できる。
1807室の木・今津沖に、麻里布開作(四十町歩)できる。
1809尾津沖へ、尾津開作(百十町歩)できる。
1811装束沖へ、麻里布湊(新港)築立。
18129岩国藩政財政改革施行。
18475藩校養老舘成り。
1847520開業式。
18569第十二代経幹は招かれて萩の花江亭に毛利慶親と会す。
1859室の木・今津沖に、新開作(百八町歩)できる。
1863経幹が上京。毛利に代わって、京都宮門警衛の任につく。
186411経幹が広島の国泰寺にて、征長総督と応対。
明治時代
18696版籍奉還。
18696第十三代経健が岩国藩知事に任ぜられる。
18717廃藩置県。岩国県できるも、程なく山口県併合。
18847吉川経健が男爵に叙される。
1885吉香神社を城跡に移転し、境内を公園とした。
18914吉川経健が子爵に昇叙せられる。
歴代当主名生没(西暦)主な出来事
駿河時代@経義つねよし不詳 〜1193 鎌倉幕府の成立(1192)
A友兼ともかね不詳 〜1200東大寺大仏殿の再建供養(1195)
B朝経ともつね不詳 〜1240承久の乱(1221)
C経光つねみつ不詳 〜1267鎌倉の大仏造立(1252)
安芸時代D経高つねたか不詳 〜1319元冠(1274・1281)吉川氏、安芸へ移住する(1313)
E経盛つねもり不詳 〜1358室町幕府の成立(1338)
F経秋つねあき不詳 〜1383観阿弥・世阿弥親子の活躍(1300年代後半)
G経見つねみ不詳 〜1435勘合貿易の開始(1404)
H経信つねのぶ不詳 〜1456雪舟、京から山口ヘ移住(1450年頃)
I之経ゆきつね不詳 〜1477応仁の乱(1467〜1477)
J経基つねもと1429〜1520毛利元就が生まれる(1497)
K国経くにつね不詳 〜1531大内義興に従って上洛(1508)
L元経もとつね不詳 〜1522吉川氏と毛利氏が婚姻関係を結ぶ(1518年頃)
M興経おきつね不詳 〜1550鉄砲の伝来(1543)ザビエル、山口で布教(1550)
N元春もとはる1530〜1586毛利元就の「三子教訓状」(1557)大内・陶両氏の滅亡(1557)
O元長もとなが1548〜1587本能寺の変(1582)
P広家ひろいえ1561〜1625関ヶ原の戦い(1600)
岩国時代@々1561〜1625吉川氏、岩国に移封される(1600)
A広正ひろまさ1601〜1666鎖国(1639〜)
B広嘉ひろよし1621〜1679錦帯橋の創建(1673)
C広紀ひろのり1658〜1696「奥の細道(松尾芭蕉)」の完成(1694)
D広逵ひろみち1695〜1715赤穂浪士の吉良邸討入り(1702)
E経永つねなが1714〜1764岩国横山で白蛇が発見される(1738)
F経倫つねもと1746〜1803天明の大飢饉(1782〜1787)
G経忠つねただ1766〜1803寛政の改革(1787〜1793)
H経賢つねかた1791〜1806「古事記伝(本居宣長)」の完成(1798)
I経礼つねひろ1793〜1836「東海道五十三次(安藤広重)」の刊行(1833)
J経章つねあきら1794〜1843天保の改革の開始(1841)
K経幹つねまさ1829〜1867長州征伐(第1次1864・第2次1865)ペリー来航(1853)
L経健つねたけ1855〜1909版籍奉還(1869)廃藩置県(1871)
現在M元光もとみつ1894〜1953第2次世界大戦(1941〜1945)
N重喜しげよし1925〜1999国宝等多くの文化財・資産を(財)吉川報效会に寄贈
O重幹しげもと1955〜


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