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錦帯橋-下巻-椎尾八幡宮


第二十八章
椎尾八幡宮
錦帯橋

椎尾八幡宮-旧岩国藩の国司社

しいのおはちまんぐう

椎尾八幡宮略縁起
御祭神 誉田別命 ・足仲彦命 ・息長帯比売命
相殿 猿田彦神
 當宮は後水尾天皇の寛永三年(1626)に、時の岩国二代藩主吉川美濃守廣正公が、吉川歴朝の守護神である駿河八幡宮(この駿河八幡宮は吉川氏の始祖、経義公が、その昔、駿河国有度郡吉河邑(今の静岡県清水市)に住し、其の地方の豪族として在りし頃、文治二年(1186)に鎌倉の鶴岡八幡宮より神霊を勧請したるに起因す。)の神霊を郡内由宇村より現地に奉遷し、同時に、太古、岩国山東北の谷に古き社祠あり。山麓の谷々は現在和木町に属する瀬田、関ケ浜部落で、其の地に椎尾と称する地名あり、古き社祠にて猿田彦神を祀る。此の神、伝えによれば、遠き神代の昔、皇孫御降臨の砌り、道案内として、此の岩国山を御通過の折、暫く伊勢ケ丘の峯にて御腰をかけ給い因縁あり。その神跡を偲びてか、往古より道中安全の守護神として広く旅人に崇められ、聖武天皇天平二年(730)大宰小典山口忌寸若麻呂、この山を越す時、「周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよあらき其の道」(万葉集巻四)に詠めり。それより後、後土御門天皇文明十二年(1480)宗祇法師諸国行脚の砌り、この山に差しかゝり無礼あり、彼が馬、俄に倒れて進まず、宗祇は困り里人に助けを求めた処、里人この時、此の神「人の不浄不敬を咎め給う事、諸神にまされり、旅人神慮に添わざる振舞あらば其の誤りを謝して祈り給え」と話す。宗祇神前に額づき誓願誠心を尽くすと馬、不思議に前の如く進み、宗祇この時、万葉の歌を飜詠して「周防なる岩国山を越えむ日は手向けよくせよ荒木楚の神」と詠めり。是より此の神を荒競の神とも云い、別名、荒木曽神社とも称さる。則ち、藩主吉川廣正公、この神霊と八幡大神とを合せ祀りて、現地山陵を切開き祠殿を建立して、茲に、号を椎尾八幡宮と称し、爾来吉川歴代藩主にあっても代々厚く崇敬せられ、更に岩国藩国家万民の鎮護社として、また、當町郷人の産土神として、広く世人の敬仰さるゝ宗社として現今に至れり。







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